■中川の隠れ名所?アートギャラリーの主

そのギャラリーには、中川のまちの中心を通る旧国道へ向かって、数々の作品が掲げられている。

道行く人が誰でも見られて、かなりオープンだ。

作者は中川に住む、森下次夫さん。自宅の車庫を趣味のギャラリーにして、北山の景色を描いて飾っている。

 

地元の景色の他には、なぜか富士山の絵。

その理由は話せば「長くなるから・・・」と言われてしまい、実はまだ教えてもらえていない。

 

天井からは杉の景色とともに「北山八景」と記された絵がこちらを向いていた。

「北山八景って何処なんですか?」と尋ねると、9個、10個と出てきて、八箇所を優に超えてしまう。北山の絶景は、八箇所くらいには絞れないようだ。

 

 

 

■アトリエの隅でみつけた、その言葉

ある一枚の絵にかかれたことば。

「都からつづら折れの山道、山深いすみかで雲を友とし、松を隣とし生涯を送りたい。」

その意味は・・・そんな確たる想いも、口では語らない。しかし、地元の話になると、いくらでも良いところを紹介してくれる。

 

中川の歴史に関する書籍は読みあさっているようだ。
自身で勉強した歴史を整理して年表と地図にまとめた、森下さんお手製の中川マップを手元に、オススメスポットを案内していただいた。

山脈の地形はおそらく、京の都があった時代から今まで、大きく変わってはいないだろう。

歴史書に残された記述を頼りに、ゆかりある山道を気軽に歩けるように、少しずつ整備している最中だ。

 

中川まちあるきイベントの日には、本格的な拡声器を片手にガイド役をつとめて下さった。

あれだけ歴史を調べてまとめておきながら、ガイドは非常にシンプルであっさり。
彼の案内が、不思議とみんなを笑顔にした。
台本のある完璧な説明ではないけれど、「ここを見てくれ!」と、熱意が伝わるからなのだろう。

ガイドツアーの看板も、森下さん作。これがとっても目立つ!

■山深いすみかでの別荘計画、進行中。

歴史道のある「奥山」と呼ばれる山を少し入っていた先には、彼の手作り秘密基地がそびえ立っていた。

その名も「光厳院」。

ギャラリーの絵画同様、カラフルな建物で、彼の作品群が所せましと飾られている。

森下さんは、元々枝打ち職人だった。
山仕事や大工仕事も慣れっこで、別荘小屋も一人で作った。「こんなん、丸太運んで組んだだけや。」と一言。

 

基地の裏手には、彼が「光厳の滝」と呼ぶ滝が流れており、ここは避暑地としても最高のようだ。

滝が流れる川沿いには、九輪草を植えていた。

春には景色が紫色に染まっていたのだろう。
しかし、我々が訪れた夏には、台風により流されてしまった後だった。

まだ土砂が残った川を見つめながら、
「こればっかりは仕方がない。さて、次は何にしよか。」と、
新たな計画を練る。自然に抗わないのが北山人だ。

「基地の周りも綺麗にしたいし、出来れば炭窯で炭焼きもしたい。」

火を焚いて簡単な料理ができるスペースはもう出来ている。森下さんのアトリエづくりは進む。