かがやき隊員の奥田です!先日の投稿(こちら)でもご紹介したように、

小野郷学区を含めた北山の地域、お隣の京北地域等ではお正月三箇日に

『納豆餅』を食する家庭が多いようです。今回、大森地区にお住まいの方に、

『納豆餅』に関するあれこれを教えて頂きました(^-^)/

各家庭によって製法に差異があるようなので、一概にこうだと言えないのが難しいところですが、

教えて頂いたご家庭では、三箇日の朝早くに家の主人(お父様)がお餅を焼いて用意されていたとのこと。

レンジもガスコンロも無い時代、家族全員分のお餅を用意するのは大変だったろうと思われます。

三箇日は女性に少しでも休んでもらうという気遣いの表れだったのでは、とのことです(o^^o)

まずはお餅を焼いていくことから。昔はもちろん囲炉裏(いろり)を用いて焼いていたそうで、

ガスコンロのように火力調節が容易ではないため、焼き加減が難しかったのではないかとのこと。

お焦げが好きな人・苦手な人がいて、それに合わせて焼き加減を決められていたとのことです(¨!

桶(おけ)の上に、きな粉をまぶしていきます。きな粉は昔、豆を煎て石臼でひいて作られていたそうです。

また、興味深いことに『納豆餅』用の桶があったそうですΣ(゜゜)

昔の『納豆餅』はとにかく大きめだった(ある地域の方に聞けば30cmはあったとのこと)ようなので、

それ専用の桶もやはり大きかったのでしょうか・・・。

焼き上がったお餅を、きな粉をまぶした桶に入れたところで今回はここまでです。

次回はお餅をこねたり、納豆を入れたりする工程の詳細をご紹介します。

それではまた次の投稿でお会いしましょう(*^-^*)!